寛容な世の中の作り方

 LGBTの話ではないが、LGBTから入ってみようと思う。

 最近、会社でLGBTの研修や対話会の話をよく聞くようになった。テレビでも取り上げられ、行政の対応も進みつつある。

 その中のキーワードのひとつに「アライ」がある。自身はLGBTではないが、その支援をする人で、正確には「ストレート・アライ(Straight ally)」というらしい。研修でも、LGBTに関する困りごとはアライに相談して下さいとしていた。

 庶務担当の同僚が、庶務担当というだけでこのアライをやっている。この同僚を見ていて、今の自分はアライにはなれそうにないなと思う。アライは、必然的にカミングアウトされる可能性が高まるし、対応を誤るとその人の人生を左右しかねない。そう思うと、経験も自信もない k-ogasa は受け止めきれないなと思ってしまう。

 なぜかと振り返ってみると、どんなことをどんな風に悩んでいて、どうサポートしたら良いのか想像できないからだろうと思う。想像力がなければ、寛容にはなれないし、その意味では、まだまだ自分は不寛容なのだと気づかされた。

 さて、最近みた「増山超能力事務所」というテレビドラマが面白かった。

 誉田哲也が書いた同名の小説が原作で、ここの超能力師たちはイケてない。どちらかというと、風変わりな特徴がある変なやつ程度の扱いになっていて、その特徴故に悩み苦しむところが、このドラマの面白さだ。例えば、心を読む能力はあるのに、四六時中「ブサイク」だの「キモい」だのと自分へのネガティブな感情が嫌でも読めてしまって、引きこもりがちになるという感じて、厄介な能力で嫌なのだが、なかったことにもできないと葛藤するという感じだ。

 生き辛さを感じてきた超能力師たちも、増山所長という理解者のもと、超能力を生かした探偵という仕事を通じて、自分の居場所を見つけていく。

 そう考えると、身体的特徴をからかわれるのと大差はないし、痩せていたり運動オンチでモテなかった k-ogasa にも理解が及んでくる。超能力はスーパーヒーローが持つ万能な能力ではなく、多くの人がそれぞれに持っている、人より優れた所、劣っている所、違う所、特徴や個性に置き換えてもらうと、超能力師でない自分にも理解出来るようになる。

 もう一つは、アニメ「亜人(デミ)ちゃんは語りたい」。

 このアニメでは例え日下部雪こと雪女を、 感情が高ぶると周りをちょっと凍らせるという困った特徴をもった高校生、妖怪や精霊のように人でないものを個性的な人間として描いている。現実の世の中に だって、感情が高ぶると 激しい言葉で周りを攻撃してしまう人だっている。それと同列に扱っているのだ。

 また、LGBT のアライに相当する役を高橋先生が担い、その高橋先生も悩みながら亜人達と向き合っている

 こうやって、想像しやすい形で表現してくれると受け入れやすくなるし、こういった作品が、世の中を寛容にしていくのだと思う。

 以前よりは、周りと違っても良いじゃないかという考えが広がりつつある。それで生きやすくなる人が増えるのは良いことだと思うが、逆に対応できずに窮屈さも感じるようになった。こういうものは、10年単位の時間がかかるのだと思う。

 k-ogasa は、いくつになってもこういう作品を、なんだこんなものと思わず、楽しめるようでありたいと思う。

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