幸福センサーについて考えてみた

 最近、k-ogasa の周りの人を見ていて、「幸福センサー」なるものを考えるようになりました。変な装置を体に埋め込むとかいうような、怪しい話ではありませんので、ご安心を。 でも、科学的な根拠とか宗教的な背景とかは全くない、個人の他愛もないつれづれですので、もし気分を害される方がいらっしゃったら、ご容赦願います。

 k-ogasa の周りに、どうして自分だけ幸せを手に入れられないのだろうと悩む人や、いつも誰かに怯えて身構えている人が、何人かいます。何かできないかと思っても、何もできないことがほどんどです。
 同じ職場で、似たような仕事をしていても、受け止め方や感じ方が違うことはよくあります。育ってきた環境や、受けた教育、親兄弟や友達の影響、過去に経験した出来事・事故・病気などなど、様々な状況の違いによって、同じ出来事でも、感じ方・受け止め方・考え方が違うということなのだろうと思います。過去にとても酷い目に遭わされたりしたのに、人を信じなさいとは、簡単には言えませんしね。
 かたや、辛い経験をしながらも、明るく前向きに生きている人、これも何人もいます。

 この違いはなんなのでしょう。よく分かりません。そんなことをつらつら考えた時に頭に浮かんだのが、「幸福センサー」という言葉でした。人は幸せなんだと思えれば、幸せなんじゃないか、些細なことの中から、幸せな部分を拾い上げられれば、より幸せと思えるんじゃないか、それを感じ取るセンサーのようなものが、人には備わっているんじゃないかと、そんな考えがわき上がってきました。
 幸せじゃないと悩む人は、過去の出来事によって、このセンサーが壊れてしまったか、感度がとても悪くなっている、小さな幸せを感じ取って満足感や幸福感を得ている人は、センサーの感度がよい人なのではないだろうか、まあ、そんな感じです。

 この幸福センサー、修理や手入れをすることで、感度を上げられたりしないだろうか。そうしたら、先日国王が来日したブータンの人たちのように、幸せと感じられるようになるのではないだろうか。
 どうすればいいのかは、さっぱり分かりません。他人が簡単に修理できるとも、なかなか思えません。大事に使ってください、くらいなことしかいえそうにありません。また、逆に振り切れると、例えば暴力を受けていても幸せなんだと感じてしまうようなことも、あるかも知れません。チューニングが必要なのかも知れませんね。

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コメント

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hahanekoさんへ

言葉が足りないかも知れませんね。暴力を容認するつもりはありませんし、暴力を受けて幸せに感じるのがいいと書いたつもりもありません。なお、hahanekoさんのコメントの内容は、あまりにもプライベートな内容ですので、非公開とさせて頂きました。

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はじめまして。ブログを始めてまだ何日しかたっていない主婦です。
蓮の写真に引かれ、主人とブログを拝見していました。
記事を読んでいくと幸福センサーの文字が・・・
席を離れた主人に声を出しながら呼んであげていると、思わず涙が溢れてきて胸が詰まる想いでした。
なぜ、声を引き攣らせるまで涙が溢れてきたのか自分でもよくわかりません。本人より主人が一番ビックリしたかもしれませんね(笑)
きっと私の幸福センサーが弱ってたのかも。
心にストレートに言葉の一つ一つが飛び込んできて何かわからない感情一気に溢れました。
どちらかというと、どうして私だけ幸せになれないの?とは考えるタイプではなく、私の選んだ人生これが幸せと毎日明るくいたいタイプです。
苦しいことも、淋しいことも、いつか笑い話でいれて自分が死ぬ間際に私の人生幸せだったなって思える後悔のない人生になればと思うのですが、やはり普段からの幸福センサーのメンテナンスは必要ですね。
ありがとうございました。涙が淋しい気持ちを洗い流すきっかけになりました。今日からまた頑張ります^^

真衛門之助さんへ

真衛門之助さん、初めまして。

 お越し頂き、また、コメント頂きまして、ありがとうございます。

 コメントを読ませて頂いた時点では、真衛門之助さんの心の中で、色々な感情がわ~っと動いたのだなということしか分かりませんでした。先ほどブログを拝見し、「マイナスから始まった~」との言葉から、少しだけ分かったような気がします。
 k-ogasa のつたない文章が、真衛門之助さんの心の中の幸せの分量を、少しでも増やすきっかけになったのならば、とても嬉しいことだと思います。